brounieの日記

モラハラ記録です

振り返り④

程なくして

自分が悪いのだと自己嫌悪になったわたしは

良き妻になろうと

良き母になろうと

たまたま頂いた本の中に

「子育ての基本は夫婦愛和」のフレーズに興味を持ち

とある学びの会に入会する事になりました。

その学びは

とにかく旦那様を第一優先にすること.ᐟ.ᐟ

家で旦那様が心地よく過ごせるように常に意識すること.ᐟ.ᐟ

旦那様に呼ばれたらすぐに「はいっ.ᐟ.ᐟ」

子供のオムツを変えてる最中でも…

旦那様が仕事でいなくても

いるような生活をする事.ᐟ.ᐟ

何か子供にせがまれたら

「パパに聞いてからね.ᐟ.ᐟ」と旦那様に必ず聞いてから。

などなど

まずはその通りにやってみることにしました。

すると

主人はわたしをとても大事にしてくれるようになったし

子供達も家の中ではお父さんが一番偉い.ᐟ.ᐟのだと意識する様になったので

息子が思春期になった時には

ある意味主人がストッパーにはなりました。

そのうち主人は

コソコソと遊技場に行くこともなくなりましたが

それは見かけだけ……

やっぱり心に癖つけしたギャンブルは

いくらわたしが努力しても消えることはなく

なにかのきっかけでまた行ってしまう。

なにか嫌なことがあるとそこにたどり着く。

多分きっと無意識のうちに気が付くとギャンブルをしている自分だと

その後ギャンブル依存性のセミナーを受けた時に教えてもらったけど

主人も気が付くとパチンコ台の前にいたのだと思います。

そんなこんなで

努力が報われないと意気消沈するわたしに向かって

自分の思い通りにならなくなると

「そんな勉強なんかやめてしまえ.ᐟ.ᐟ」と

言うようになりました。

10年……

その学びに励んだ時期でしたが

主人にはあまり効果はなかったようでしたが

子供達には

どんな時も嫌な顔しないで

パパに笑顔で対応できるすごいママ.ᐟ.ᐟと

植え付ける事ができたようでした。

振り返り③

そう言えば

子供達が小さい時、こんなことがあった。

その日は主人も仕事が休みで

わたしは近くのテーマパークで開催しているフリーマーケットに行きたかった。

でも相変らず

主人は朝から一人で出掛けたので

わたしが子供達を連れて出掛けたのだ。

ひとりはおんぶ

そしてふたりの手を繋ぎ

バスを乗り継ぎながら行って来たのだ。

当時、今のようにリサイクルショップなどがメジャーなときでなかったので

せめてフリーマーケットで安価で子供達の洋服など求めたいと思ったからの事だった。

目の色を変えて

お得な物をゲットして

泣き叫ぶ子供達を騙し騙し

ヨレヨレになりながら帰宅すると

主人がのうのうとテレビを見ながらお酒を飲んでいた。

その姿に全身の血が逆流して

ついついわたしも血気盛んの若さだったので

主人に食ってかかってしまった。

その後

主人に追いかけられ

髪を鷲掴みされて振り回され飛ばされて

気が付くと

子供達は恐ろしさのあまりわたしの母を呼びに行ってて

なんとかその場を取り押さえてくれたけど

振り飛ばされたわたしはむち打ちと

右手の小指を骨折

その夜思ったのだった。

この人は怖い人……

もう二度と逆らうことは出来ない。

子供のためにも

我慢しなくちゃ……

それからわたしは

決して主人に口答えすることはなくなった。

あの時

もっと母が話をしてくれたら良かったのに…

もっとわたしを庇って欲しかったのに……

実母もまた

少し変わった人だったので

何故かわたしは我が強くて悪い人に収まり

主人からも

もうこんなことはしてはダメと

何故かわたしが悪い人になったのであった。

今どう思っても

どう考えても

わたしは決して悪くなんかない!

何故その時言えなかったのだろうか……

2021年5月6日

5/2から始まった主人のGWが

やっと今日で終わる。

4日間あったけど

たった1度も話もしてない。

4日間あったけど

たった1度もどこにも出かけてない。

4日間あったけど

たった1日も風呂も洗ってもらえてなかった。

4月1日から持病の椎間板ヘルニア

思うように家事もできていなかったけど

洗濯物も2階まで運んでももらえなかった。

話はGW中に戻るけど

主人は叔母の入院中の留守の間の猫の世話を

腰痛で行けないわたしの代わりに行っている。

先日、だいぶよくなったからと伝えたのだが

思いっきり断られた。

どうして断るのか?

仕事の帰りにわざわざ寄って

猫の汚物の世話に餌やりをしてから帰ってくる。

どんなに仕事で遅くても

どんなに悪天候でも

我が家のペットには餌もやらずに世話もしないのに

わたしが腰痛で起き上がれなくてもご飯も水も与えてもくれないのに

叔母の用事は必ず絶対寄って来る。

叔母が入院してから毎日わたしが行っていて

年末に亡くなった叔父のお仏壇のお供え

そして留守中の掃除や入院先の連絡に洗濯物etc

介護スタッフとの連絡

ソーシャルワーカーさんとのやり取り

全部わたしがやってきたのだけど

急に突然

全て主人がしているのだ。

ついでにお金の管理も……

お金に目が眩んだのか。

そして

これまでベースを作って来たわたしを除け者にして

叔母とベッタリとくっついて

遺産も全部乗っ取ろうとしているのか……?

叔父が亡くなる前に言っていた。

子供のいない叔父と叔母は

歳をとって何かあったらお世話になりたいと

主人にお願いしたそうだが

主人は断ったのだそうだ。

それを聞いて

これまでお世話になっているのに

そんな足を向けて寝ることは出来ないから

なんでも言って下さい!と

わたしは言っていたのだ。

それなのに

多額の財産を独り占めしようとでも思ったのか

いや!そう思っての行動にしか思えない

近頃の何があっても叔母の世話を第一に優先している行動は……

なので、そこまでレールを敷いてあげてたわたしのことは

ついには除け者扱いまでする主人の腹黒さには

驚いた。

今日も

いつもは一緒に叔母のリモート面接へ行っていたのに

どうやら一人で予約して

一人で行って来たようだ。

何を話してきたのか……

今後は自分が精神生命込めてお世話をするとでも断言してきたのか……

結局いつもわたしが尻拭いして来たのに

そんなこともつゆ忘れ

目先のお金に操られて……

いつからそんな人間になってしまったのだろうか

本当に情けなくなってきた。

振り返り②

結婚してからというもの

お休みの日は朝からパチンコ

それでもまだその頃は

わたしには罪悪感があったのでしょう。

夕方も早目に帰って来てたり

お小遣いの中でやりくりして遊んでいたようです。

主人のギャンブルがひどくなったのは

家を購入してから

町内に行きつけの遊技場があったので

歩いても行ける。

なのでわたしの目を盗んで

自転車で行ったりしていました。

その時はとても嫌な気分はしていましたが

咎めることもなく

それはそれで主人の気分転換になるのだからと

自分に言い聞かせていたのでした。

そのうち

知らない間にわたしのカードを持ち出し

金銭を引き出しては通い始め

その時の借金は主人のお父さんが払ってくれましたが

その後サラ金にも手を出し

主人の叔母さんに多額の借金をしていたのでした。

叔母さん夫婦からは

わたしが生活費のために借りさせたのではと

ものすごく叱られ

そんな覚えは微塵もないので

主人が勝手に借りたのだと伝えました。

主人はお小遣いの中から少しずつ返すと言ってたらしいのですが

お小遣いが減れば携帯で買い物しだし

その請求で我が家の家計はいつも火の車でした。

そんなこともあって

わたしは主人のことが信じられなくなっていました。

もちろん子供たちも

小さい時は上手く誤魔化して来れたのですが

そのうち大きくなってくると

他の家のお父さんとは違うと

何度も泣かれました。

だって休みの日も

家族でどこかへ行くことも無く

朝から晩までひとりでどこかへ行き

帰ってくれば不機嫌で

家の中は殺伐としていました。

「こんなお父さん嫌だ!」

何度も言われたのですが

わたしはいつか主人がわかってくれる日が来ることを

待ち続ける日々だったのです。

自分の身体と子供達の心がどんどんと蝕まれていることも知らず…

主人が帰ってくる前は動悸がし始め

身体中汗が吹き出し

呼吸も苦しくなっていたと言うのに…

我慢強いのも程があり過ぎました。

その後

お友達と話していた時に初めて

それは完全にモラハラで経済DVだと言われたのでした。

もう結婚して20年も経とうとしていた時でした。

相談窓口に電話をした時も

よくここまで我慢してきたと

褒められたのか

呆れられたのか

本当にどうしてもっと早く気が付かなかったのか

とても悔やまれます。

主人の生い立ちと振り返り①

結婚してからいろいろと分かったのだけど

かなり複雑な家庭環境だったのは確かです。

そもそも出会った時は

主人はお兄さんと一緒に祖母の家で暮らしていました。

祖母とは主人のお母さんの親。

お兄さんは主人のお父さん違いの兄弟。

主人のお母さんは

かなり自由奔放な方だったらしく

主人のお兄さんのお父さんと結婚したあと

すぐに離婚したようで実家に戻り

その後、都会に出て働いていた時に

主人のお父さんと出会ったようです。

少し経って田舎へ帰り

その後妊娠が分かり、そのままお兄さんも連れて

主人のお父さんの所へ嫁いだらしいのですが

子供がふたりいても水商売をしていて

生活は派手だったらしいです。

そして多額の借金を主人のお父さん名義で残し行方不明に……

見かねた主人の祖母が迎えに行って

お兄さんとふたり、引き取ったそうです。

その後、主人のお父さんは

養育費を送りながら

時々子供達にも会いに来てくれていたそうですが

その頻度も段々と長くなり

お母さんは他の人とも内縁の関係になり

さらに子供も産んで暮らしていたそうです。

主人が中学の修学旅行の時に

お母さんを訪ねて行ったらしいですが

玄関先で追い払われたとか言ってました。

思春期の主人が、どんな思いでその時を受け止めたのか

そのお話を聞いた時は

あまりにも主人が可哀想で……

「そのぽっかりと空いた穴を、わたしが埋めてあげる.ᐟ.ᐟ」

などと、今になってみれば変な同情心に奮い立って

わたしがなんとかしてあげないと

この人はずーっと心にすきま風を背負ったまんま

あたたかい思いをしないでしまう.ᐟ.ᐟと

思ったものでした。

あとからなってみると

人生の大先輩の方々からは

同情で結婚しては絶対にダメだよ.ᐟ.ᐟと

口を揃えて言われたものでした。

つまりは

自分の価値観とあまりにも違う結婚は

決していいものじゃないと

だからこんな目に遭っているんだよ.ᐟ.ᐟと

大先輩達からの忠告だったのでしょう……

もっと早く

誰かに言って欲しかった。

そしてその背景から

主人の排他的な性格と

時々わたしという存在に自分のお母さんを重ねているところが噛み合わさり

わたしへの静かな攻撃が始まるのでした。

2021年GW

あっという間にGWも終盤に…

今日もわたしは自宅でひとりで過ごしている。

いつ帰るのか

全然見当もつかない主人の為に

夕ご飯の献立も考えなくてはいけないし

お風呂も洗わなくてはいけないし

なにしろ

「いつ帰るんだろう…」と常に緊張してなくてはいけないのが心も身体も疲れ果ててしまう。

主人の休みは5/2〜5/6のようだ

娘が言っていた。

2日は娘の旦那さん(ムコ)が帰って来るからと

娘と孫を乗せて空港まで迎えに行った。

わたしと下の孫はお留守番。

珍しく高速代も主人が出したらしく…

あのケチ極まりない主人が高速を使うことすら驚いているが

その高速代を払ったとは…

随分と気前がいいじゃないか…

家には生活費3万しか入れてくれないと言うのに.ᐟ.ᐟ

そんなこんなで始まった主人のGW

初日は前にも綴ったようにムコのお迎え

一旦みんなと家には戻るが

その後また単独で出かけた。

きっとまたパチンコにでも行ってるのだろう。

本当に胸くそが悪い。

夜ご飯は久しぶりにムコも集うからと

近所の中華料理屋さんから色んな1品料理をお願いして

みんなで食べた。

わたしがみんなの分を出したけど

財布の中はスッカラカンになる。

翌日5/3は朝からどこかへまた出かけたようで

(きっとまたパチンコだろう.ᐟ.ᐟ)

夕方帰ってくる。

ひとりで遊び歩いている者に

おかずなんか作ってやるか.ᐟ.ᐟとは思うのだけど

身体は自然とキッチンで料理を作ってしまう。

娘家族もまた我が家に来て

ちょっと肌寒かったので湯豆腐と

みんなで天ぷら蕎麦を食べた。

でも主人はまた湯豆腐しか手を付けず

天ぷら蕎麦を残している。

食べないのは本人の勝手だけど

湯豆腐しか食べさせられてないと

ちょっと小耳に挟んだことがあるので

嫌な気分になる。

とはいえ

ちゃんと作ったものを手もつけず

それは完璧に無駄というものではないだろうか…

5/4もまた朝からひとりでお出かけ

夕方娘家族がBBQをすると言うので

植木を退けてテーブルを出したり

諸々準備をしたり

あらかた準備が終わってから呑気に帰って来て

すぐに席に着きお酒を飲み始めた。

ずいぶんといいご身分じゃないか…

こちらは底ついた財布の中身を見ながら

少しでもとハムステーキやお肉など買ってきているのに

何か手伝うでもなく

軍資金をくれるでもなく

悠々とお酒を飲んでる姿を見ていると

末端の血が集まって来て

頭に昇っていくのがドクドクという音と共に感じるのだ。

とても身体に悪い。

その後主人のお友達と娘のムコと3人で

息子のBARに行くことになった。

その往復のタクシー代も

そして飲み代も全部主人が出したらしい。

わたしには生活費3万しか入れないくせに

そして今日もまた

主人は朝から出かけている。

こうして

存在をも無視され続ける毎日で

わたしはどうしたらいいのだろう

2021年5月1日

ゴールデンウィークではあるけれど

主人は出勤なのか…

それともお休みなのか…

いつも何も言ってくれないので

とりあえずお弁当と珈琲の水筒は準備しといた。

洗濯をしたり

その辺の拭き掃除をしたり

2階の主人の気配を気にしながら動いていると

いつもより遅めに主人の携帯のアラームが鳴った。

そして

わたしがいる場所から離れているドアから居間に入り

徐ろにお弁当等を持ち

何も言わずに玄関へ…

以前なら

ちゃんと「おはよう.ᐟ.ᐟ」とか

「朝ご飯食べて行く?」とか

若干の会話はあったけど

…一方的にわたしが話していたって感じ…

この頃は何を聞いても

この頃?

いや前から

挨拶をしても

必要最低限の話を持ちかけても

ほぼ無視される。

それも凄い表情なのである。

なので

せっかく声をかけても

そんな感じで対応されるので

朝から心が哀しくなってしまい

何もするにも心のバネを必死で弾かないと

動けなくなる。

以前はしょっちゅうダメージを受けて

身体のあちこちに影響が出てた。

現に顔面神経痛は日に日に酷くなっているし

数年前にはストレスから婦人科の手術

その後は更にストレスから

脳腫瘍まで出来て

11時間に及ぶ手術までしている。

これ以上

自分の身体を傷めてまで

我慢してはいけないと思って

無理に主人に合わせようと

我慢はしないようにする事にした。

日中は

またまたJアラートが鳴り響き

宮城県沖を震源とする震度5強の地震が来ても

わたしには連絡すらくれない。

娘にはしていたらしいけど……

そして夕方

今日もまた夕ご飯は手もつけないのだろうかと

いろいろと考えながら

できるだけ口に合うものを作る事に……

干しガレイと

五目卵焼き

そして冷奴にご飯と具だくさんのお味噌汁と

とりあえず主人の席に並べた。

何も言わずに口に運び

今日は珍しく食べていたようだった。

そしてまた2階へ

今日もまた

ひと言も主人とは会話は無かった。